2008年9月29日月曜日

真理


 真理は多くの落ち葉のうちに埋もれ、覆い隠されている。そのままでは真理を見ることはできない。その落ち葉を一枚ずつ取り除いてゆく作業が、言葉による論理的思考にほかならない。つまり言葉は、真理を見やすくするための準備作業として必要なのである。しかし落ち葉がすべて除かれて、真理がその姿をあらわしたとき、われわれはその真理を「見る」のである。それは直感であり、論理による思考ではない。
    <森 三樹三郎、老子・荘子>
〝天道之微昧〟

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