
人間が種族保存上、有効に行動し生活する為に、自然は人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、己れの謎を解いて貰う為に与えたとは到底考えられぬ事である。
従って、知性は、行為の正確を期するに充分なものだけを正確に理解する。
物と物との関係には、いよいよ通暁するが、決して物の裡には這入らない。
その様なことは無用の業でなければ狂気の沙汰だ。
恐らく、存在と認識との間のディアレクティックは、永遠に空しいであろう。
<小林秀雄、ランボウ>
〝もっと簡単なことばであたり前のことは云うべきであろう、生が与えられたままの生である限りにおいては生に難しいことは何もない、与えられた限りの生でなければ生はそもそも存立しない、与えられたままでないように見える生は生の落とした影にしかすぎない〟
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