2009年5月31日日曜日


 親鸞が開いた本当の悟りは、極楽浄土など存在しないという厳しい認識だったのではないか。
 存在しないところに行けると言って、民衆を難行苦行に追い立てるわけにはいかない。
 しかし目の前には現に生活に苦しむ人々がいる。
 彼らを救うためには、あえて極楽浄土の存在を説き、そして簡単な念仏だけで極楽浄土に行けるというストーリーを作り上げようとしたのだろう。
 本当は、死んでしまったら、人間は一巻の終わりだ。
 その先には何もない。
 だが、経済状況は現世の幸せを保障できるような状況ではない。
 その時にどうしたらよいのか。
 それは、辛い、苦しいと暗くなって生きるのではなく、仮に嘘であったとしても、来世での幸せを確信して、明るく生きたほうが、ずっと現世での幸せを感じることができる。
 民衆にそうした希望の光をあてよう。
 それが、親鸞の悟りの本質だったのだろう。
    <森永卓郎>
〝ヒトは泥水に住み群青の天空を思う〟

2009年5月29日金曜日

時間の番人


 記憶、すなわち時間の番人は、ただ時間をしか警戒しない。
 持続がすなわちそれであるところの複雑で人為的なわれわれの感情に関しては、記憶は何ものをも・・・絶対に何ものをも・・・保持しはしないのである。
    <ガストン・バシュラール、瞬間と持続>
〝記憶は人の嘆きの涙であり、警戒にあらず〟

2009年5月28日木曜日

おろかしさ


 わたしは、あの責め苦をもう一度ためし味わい、あの無意味なおろかしさにもう一度ぞっと身をふるわせたい。
 もう一度といわず、何度でも、わたしのうちにある地獄をふたたび渡り歩いてみたい。
 いつかには、もっと上手にこのゲームを演じられるようになりたい。
   <ヘルマン・ヘッセ、荒野の狼>
〝そう、もう一度・・・〟

2009年5月27日水曜日

民族


 知性がもたらした発見は人類共有の遺産である。
 しかし性格の長所や短所は各民族がそれぞれ継承する固有の遺産である。
 それらは幾世紀にもわたって、日夜、海水で洗われている硬い岩のようなものであって、わずかに表面のとがった部分が削りとられるにすぎないものである。
    <ル・ボン、社会心理学>
〝知性と民族性とのうずまることのない時差〟

2009年5月24日日曜日

実在


 現在の瞬間と実在とは全く同一のものである。
    <G.バシュラール、瞬間と持続>
〝それ以上のものではない〟

2009年5月23日土曜日

不条理


 不条理にもとづいて生きることがはたしてできるだろうか。
 あるいは論理の必然的帰結として不条理ゆえに死ぬべきなのか。
 それをぜひとも知りたいのだ。
    <アルベール・カミュ、シジフォス神話>
〝論理と遊ぶことこそが救う・・・〟

2009年5月22日金曜日

瞬間


 もしあなたが毎日、これが最後の日と思って生きるなら、いつかきっと正しい道を進むだろう。
〝むしろいつも最後の瞬間を生きる一滴〟

2009年5月21日木曜日


 人の自己は他者によって措定されたかかわりである。
 従っておのれ自身にかかわりつつこのかかわりにかかわるところのかかわりである。
 従って人においては、自己自身を脱れようとする絶望のほかに、自己自身であろうとする絶望があるのである。
     <和辻哲郎>
〝つまりは虹の架け橋のようなものか〟

2009年5月20日水曜日

ひよわな思念


 最も心配性の者たちが今日問うところは、「いかにして人間はいつまでも保存されるか?」ということだ。
 だがツァラトウストラは、「いかにして人間は超克されるか?」と問うところの、唯一の者にして、かつ第一の者だ。
    <フリードリッヒ・ニーツェ、ツァラトウストラ下>
〝ヒト遺伝子は何を夢みているか?〟

2009年5月19日火曜日

ゆらぎ


 私の見たものは、私がそれをどうもしようとしないため、今は消え去らうとしてゐる。
 私は、生まれた後、やがて死んでゆく子供の母親のやうなものだ。
    <アンリ・バルビウス、地獄>
〝絶えない憂愁〟

2009年5月18日月曜日

正義


 文明とは正義のひろく行われることである。
 豪壮な邸宅、衣服華美、外観の壮麗ではない。
    <西郷隆盛>
〝正義は人の共通言語なのだろうか?たぶん違う。個である人には共通言語としての正義は無い。〟

2009年5月15日金曜日

自己自身


 自己自身の根源的本質に対する離反、疎外関係は、必然に自己と他の物、自己と自己自身の活動、自己と他の人々のあいだの分裂、疎外関係として現われないわけにはいかない。
    <哲学1、岩波>
〝根源的本質を求め切れなかった〟

2009年5月14日木曜日

社会


 アリの社会がアリの社会であるのは、アリの脳がアリの脳だからです。
 アリを一匹つかまえてきて、非常に難しいでしょうが脳の手術をして、そのアリを元の巣に返してやるとします。
 すると、もしアリの社会が精神病院をもっていたら、たぶんそこに入れられてしまうでしょう。
 それがじつは社会というものの定義です。
    <養老孟司>
〝あなたの脳は社会の共有財産〟

2009年5月12日火曜日

記憶


 論争に当たって権威を楯にとる人は、悟性で考えないで記憶で考えているのである。
    <レオナルド・ダ・ヴィンチ>
〝記憶のみが時間から生き残るように見えることに人は寄り添って生きる〟

2009年5月11日月曜日

あいだ


 私は最近大きな発見をした。
 私はもはやなにものをも信じないということだ。
 対象となるものは私にとってもはや存在しない。
 あるのはもの同士のあいだと、ものと私とのあいだの調和のとれた関係だけだ。
 この調和に達すると、人は一種の知的〝 無〝の世界に達する。
 そうすればすべては可能となり、すべては適切なものとなる。
 つまり人生は永遠の啓示となるのだ。
 これが真の詩というものだ。
    <ジョルジュ・ブラック>
〝非調和の関係に漂うこともある〟
 

2009年5月10日日曜日

暗夜行路


 一燈を提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うるなかれ、ただ一燈を頼め。
    <手抄言志録、西郷隆盛>
〝似非燈火〟

2009年5月9日土曜日


 わたくしもほかの人たちと同じように、あなたがたに、
 陽の光や雨だけを祈願すればいいのですが、それができないのです!
 おお、永遠の秘密よ、わたくしたちが探し求めている
 自分自身、それをわたくしたちは見いすことができず、
 わたくしたちが見いだすものはわたくしたち自身ではないのです。
    <パンテア、ヘルダーリン全集「エムペドクレスの死・第一稿」>
〝人生の末路で見いだしたこと、わたくし自身である歴史的存在のわたくしとは石の欠片であった〟

2009年5月8日金曜日

数学


 全宇宙は神様が造り給うたもので、神様はそれを数学の言葉で書いた。神様の書いた言葉だから美しい。
    <アイザック・ニュートン>
〝カミサマが数学的法則性の背後にいる?科学はその実証の歴史なのか〟

2009年5月7日木曜日

蓮の命


 あなた方は仏典とか教典だけを学んでいるけれど、それは蓮の花を切り花にして拝んでいるようなもので、やがて枯れてしまいます。汚い泥を這う蓮根とつながっているから、蓮の花は命が続くのです。現場を見ずに頭だけで死を考えて、なにがわかるのでしょう。
    <青木新門>
〝おし流す河の水を呑み命を養う〟

2009年5月6日水曜日


 河が人をおし流していく。
 ライン河のように深く速く碧玉の河が無数の人をおし流していく。
 見れば岸辺に河の流れからおし出された人々が喘いで倒れている。
 おし出されているのは老病の人だ。
 その叫喚の声を聞きつつ新な生命が河の流れの真ん中を流れ始める。
 歴史の作り手たちが河を流れそしておし出されていく。

 人はいつ河の流れからおし出されるのかたれも分からない。
 人は生命の流れを大きな河の流れに調和させるが、
 河はいつしか人の調和に倦み容赦なくおし出していく。
 河は凛とした意志をもって人を流れにのせおし出していく。
 
 たれが河の流れに加わろうが、たれが河の流れからおし出されようが、
 河の流れはいささかも変わることがない。

〝K090506、友死す〟


 
 

2009年5月5日火曜日

憂愁


 私は恐ろしい孤独感をいだいていた。
 私と、人々と、町や広場や家や往来の生活との間には、たえず広いみぞがあった。
    <ヘルマン・ヘッセ、郷愁>
〝内面のひび割れのもたらす憂愁〟

2009年5月4日月曜日

社会環境


 資源の無駄遣いや環境の悪化により、自然環境の保護ということはかなり言われるようになった。
 しかし、自然環境と同様、もしくはそれ以上に大事なのは「社会環境」ではないかという考えも提示された。良い社会環境とは、人々がお互いに共感を持ち、助け合い、いたわりあい、支えあう社会である。
    <神谷秀樹 ロバーツ・ミタニ・LLC会長>
〝環境に求めるのではない、人の内なる社会を中心におく新たな契約論を作る志士はいないものか〟

2009年5月3日日曜日

環境国民


 近年の日本の政治状況を振り返ると、「子供が動かす幼稚な国家」という言葉がどうしても浮かんでくる。
 特に、政治のリーダーたちが価値観や思想において完全に「メルトダウン」しているのではないか、という危惧を覚えるのだ。
<中西輝政、京都大学教授>
〝これを適正主張を持たない環境国家と呼ぶ、そして適正主体性を持たない環境国民・・・かも〟

2009年5月2日土曜日

諸元素の小舟


 ぼくにはわかっている。ぼくは間もなく諸元素の小舟に乗っていることになるのだし、一つ一つのかけらは散り散りになって生きるのだ。ぼくがぼくであると信じていたもの、亡びる定めのものは、一つの出会いにすぎなかった。時間および空間において予見されていた、ただのつまらない出会いにすぎなかった。
そしてこの出会いは、無垢なものではなかった。それはぼくを盗人にした。というのも、ぼくはある人たちからこれを、またべつの人たちからあれを、諸世紀の腺や腸(はらわた)を通じて盗みとったからだ。
 だから? だからどうだというのか? なぜみんなが、今度はぼくから盗まないわけがあろうか?
    <ル・クレジオ、物質的恍惚>
〝ぼくは諸元素になっていきるのだ〟