
親鸞が開いた本当の悟りは、極楽浄土など存在しないという厳しい認識だったのではないか。
存在しないところに行けると言って、民衆を難行苦行に追い立てるわけにはいかない。
しかし目の前には現に生活に苦しむ人々がいる。
彼らを救うためには、あえて極楽浄土の存在を説き、そして簡単な念仏だけで極楽浄土に行けるというストーリーを作り上げようとしたのだろう。
本当は、死んでしまったら、人間は一巻の終わりだ。
その先には何もない。
だが、経済状況は現世の幸せを保障できるような状況ではない。
その時にどうしたらよいのか。
それは、辛い、苦しいと暗くなって生きるのではなく、仮に嘘であったとしても、来世での幸せを確信して、明るく生きたほうが、ずっと現世での幸せを感じることができる。
民衆にそうした希望の光をあてよう。
それが、親鸞の悟りの本質だったのだろう。
<森永卓郎>
〝ヒトは泥水に住み群青の天空を思う〟





















