
古来日本では、鬼を「モノ」と呼んだ。
なぜ恐ろしい鬼が「モノ」なのかというと、縄文時代以来引き継がれたアニミズムと密接な関係があって、万物に精霊・神が宿るという信仰から、「モノ」は「物質」であるとともに、「神」と同義語になり、しかもアニミズムにおける神は、人々に恵みをもたらす反面、恐ろしい祟り(災害・天候異変も含まれる)をもたらしたから、神は鬼でもあったのだ。
<関裕一、天孫降臨の謎>
〝迷妄に生きることはやめよう。短い人生ではないか。鬼もいない、神もいない。いるのはあなただけ。そしてあなたと袖触れ合う更なるあなただけ。さらにはその光景のなかであなたとあなたと袖触れ合う更なるあなたとを見守るモノのみ。モノは物でしかなくモノは恵みももたらさず祟りももたらさない。モノはモノのありようそのままにただひたすらに時の波頭に漂っている。人はそうしたモノを気まぐれに渉猟し歩く。
それらもろもろを彼岸と此岸の双方にあってしろしめすのは厳かなる時。
言ってみれば時こそが神であり鬼であり万物の主である。
あなたは時の前でひたすら無力をさらすことしかできない。
あなたはそのことを直視したくないがために鬼と神をつくり出す。〟