

流れる川はふしぎに心を酔わせる。
その面を見凝めていると、現象世界のさまざまな心労がとろとろと溶けて消える。
おそらく大河こそは、自然そのもので充足 している芸術品なのだろう。
杳かを見渡すと、風はひょうびょうと吹きわたり、永遠の相が微かに霞に溶けてかいまみられる。
だが、一歩目を身近に落としちょ うちょうとさざめき流れる水の分子を見ると、そこには現象界そのものを生き写した時間の鏡がゆらゆらとうごめいている。
大河こそは、人間の二元性(永遠と時間)のあこがれる止揚された状態を示している唯一の実在だ。
その絶えることのない流れは斯う教えている。
わたしは時間そのものである。
しかも、あなたたちの瞳からみると、紛うことのない永遠と映る時間そのものである。
このように、やわらかい思慮で大河は話しかける。
わたしの住む街の中にも、大河がよぎりそのあまりの広さに思案げな橋梁が向こう岸へ手を伸ばしている。
早朝のかわたれ時には、そのうすねずみ色の影を水面に落として、早番の勤め人が、自転車をころがし、霞のように去る。
のどかな田舎のしあわせがそこにある。
ああ、わたしも大河のようにゆったりと流れたい。
それが叶わぬ望みなら、水面をくぐる魚となって、
永遠の大河と友の契りを結びたい。
〝Kbefore197310ongakunotomo〟
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