2009年9月29日火曜日

瞬間


質問者:
 「地球より進んだ文明をもつ星も当然あるはずなのに、我々が実際に宇宙人や宇宙船を目にすることがないのはなぜか」
ホーキング博士:
 「地球ぐらいの文明をもつと自然の循環が狂ってきて、加速度的に不安定になる。そういう惑星は、宇宙時間では瞬間的に滅びてしまうからだ」
    <ホーキング博士 宇宙物理学者>
〝いろんな瞬間がある、あなたの瞬間、わたしの瞬間、宇宙の瞬間。あらゆる瞬間は相互に自律した意味をもっている。干渉しあうようでいて実はまったく干渉していない。なぜそうした瞬間が存在しなければならないのか?何のために・・・。〟

2009年9月28日月曜日

真人


 科学の作業は隷属的といってもいい足りぬほどのもの、つまり不具の作業である。
 この作業が応じているさまざまな需要は認識には縁がない。
 科学は認識への欲望の死滅した人々によって遂行されるのだ。
     <ジョルジュ・バタイユ、内的体験>
〝科学は手段である。認識にその役割を誤りなく遂行させるための必須の手段である。認識への欲望は科学的手段によって正しく導かれる。しかし認識もその手段である科学もバタイユ流の不具の手段から超脱できない。真人は不具の手段を気負わずに昇華させ心の在り処で事象を感知し行動する。〟

2009年9月27日日曜日


 「調理技術」は当然、身につけることは言うまでもありません。
 技術がなければおいしい料理はできません。
 しかし、それだけに留まらず、「料理の理」、つまり「理由」「道理」の部分においても蓄える必要があるのです。
 わかりやすく言うならば、「なぜそうするのか」というそのわけを知るということです。
 そうすれば料理に対する理解度がますます深まっていきます。
 食材があって、それを料理という形にするまでに種々のプロセスがありますが、何一つ無駄なものはありません。
 必ず、意味があってしていることなのです。その意味を理解することは、技術を身につけるのと同様に大切なことです。
    <おいしさの公式、辻調理師専門学校>
〝人と獣類との分岐点は食材に与える理の形にある。〟

2009年9月26日土曜日

情緒


 スピノーザがおそらく最初に指摘したように(エティカ、第五部、命題三)、情緒は、われわれがその明確な、判然とした観念を形成するや否や情緒ではなくなるのである。
    <ハーバート・リード、芸術の意味>
〝われわれは情緒という言葉は知っているが情緒は知らない。なぜ情緒を知る必要があろう。心はその理由を分かっている。〟

2009年9月25日金曜日

思想


 宗教は人間の最大関心事であります。
 正確に言うならば、宗教のない人間は考えられません。
 私どもは、自分の能力をはるかにこえる願いごとをもち、世の与えうるよりも、はるかに多くのものを望むという、妙な存在なのです。
 この矛盾を取り除くためには、行動はともかく、少なくとも思想の面でなにかをしなければなりません。
    <内村鑑三、日蓮上人>
〝宗教は真面目の宗教家にとっては思想かもしれないが個にとっては思想とはいえない。思想は宗教となった途端に思想性を失い往々に個を惑わす不本意な与件となる。真面目の宗教家は宗教の一歩手前でつねに足踏みすべきである。〟

2009年9月24日木曜日


 日本人は美を賞でる心を持って生まれたようです。
 
 日本人の最大の特徴は自然と交わり、自然を芸術的に味わうことです。
 彼らの小さな家は終の棲み家というよりは、暑さ寒さをしのぐために土の中から出てきた仮の宿という感じがします。
 その結果、日本人は天候に関するあらゆることにとても敏感です。
 さらに、この自然の状態に敏感であることが美を感じる心と密接に結びついています。
 この点で日本人に勝る国民はいないでしょう。
    <キャサリン・サンソム、東京に暮らす>
〝土の匂いは時間の匂いであり瞬間の匂いであり永遠の匂いである。家は土の匂いを厭い土の匂いに誘われる人の宿であり人はそれを脱ぎ捨てそれに脱ぎ捨てられ亡失の道を歩む。土であるのなら一生土でありたかった。というレトリックは無意味か。〟

2009年9月23日水曜日

キュウリ


 キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。
 人は自分の植えたものを収穫するのである。
    <二宮尊徳>
〝その昔におのれの植えたものを知らずにいま収穫をはじめた。思い違いのあまりに多いことに嘆息を吐きながらである。実りを得るまえに何を植えているのか人は知ることはできない。何ゆえか。そこにも時の流れが潜んでいる。〟

2009年9月22日火曜日

批評家


 人は詩人や小説家になることが出来る。
 だが、いったい、批評家になるというのはなにを意味するのであろうか。
 あるいは、人はなにを代償として批評家になるのであろうか。
    <江藤淳>
〝批評することで表される生は常に断片でしかない。有機的統合体は批評のはるか及ばない深みで息づいている。而して批評家にはすべてが遠い世界での事象にすぎず、批評家のかたる物語は時代をこえて語り継がれることのない思念の慰みでしかないという陥穽をもつ。〟

2009年9月19日土曜日

魂の在り処


 この歳になったら、「何をすれば自分の魂が喜ぶか」を考えて生きたほうがいいよ。
    <南こうせつ>
〝あなたは魂の在り処をわかっていますか。そこが喜ぶように生きるのです。歳は関係ありませんが魂の在り処をわかるには長期にわたる時の流れが必要です。あなたの中のあなたの種子が長期の時の流れに作用され醸成され磁力をました所、そこが魂の在り処です。〟

2009年9月18日金曜日

人の尊厳


 人間の尊厳、人間の価値とは人間個々の個性に他ならない。
 そしてその個性を形作るものはそれぞれの人間の備えた感性、情念であって、その思い切った発露こそが他の人間にはなし得ぬ行為となり、その行為が生み出すもろもろの所産ともなるのだ。
    <石原慎太郎、私の好きな日本人>
〝分かるようで分からぬ理屈ではないか? 人間の尊厳・価値は、ひとりひとりの個性を乗りこえ抽象化され普遍化され止揚された価値からもう一度俯瞰的時間的に個性を評じ直して思考し行為すること、にあるのではないか。〟

2009年9月15日火曜日

永遠


 私はもう、山奥で春の訪れ、秋のきざしをめでながら、物語のなかだけで栄枯盛衰をつむいでいたい。
<栗本薫、グイン・サーガ>
〝そこでは、おそらく人のあこがれ許される永遠が見える〟

2009年9月14日月曜日

永遠の家


 君がまだ・・・たとえ何か失うようなことがあっても・・・君が必要なエネルギーを持つか、より正しく言えば、エネルギーを持とうとする気さえあれば、人生の主要事を獲得しうるほどに、すなわち君自身を獲得するほどに、君自身を手に入れうるほどに、まだ十分若いということに対してお祝いを言おう。
    <セーレン・キルケゴール>
〝永遠の見える家にすみたい。それは自然力発電の家。エネルギーという人語とは無縁な鄙のかすみにうかぶわたしにしか見えない家〟

2009年9月13日日曜日

自然の景色


 望ましい死とは、突然の死以外にありはしない。
    <ユリウス・カエサル>
〝死とは何だろう。一日、目のまえの花が落ちるように自然の景色のひとつでしかない。人は大袈裟に考えすぎる。時はとてもうつり気だ。時は人に生を与えてひと時もてあそび、そしていともたやすく捨て去る。生は時の気まぐれな住み家、死は時が住み家とすることをあきらめた生、何をか悲しもう。残された人の喪失感の大きさで死をとらえてはいけない。〟

2009年9月12日土曜日

ツタンカーメンの妻


 わたしの夫は死にました。
 わたしはあなたが幾人もの成人したご子息をおもちであるということを聞き及んでおります。
 ご子息の中の一人をわたしのところへおくってください。
 わたしはその人を夫といたします。その人はエジプトを支配する王となります。
    <アンケセナーメン、ヒッタイト王への手紙>
〝アンケセナーメンという古代エジプト新王国第18王朝ツタンカーメンの若妻はどのような思いでこの手紙をしたためたのだろう。しる由もないがなべて歴史に抽象化される。〟

2009年9月11日金曜日


 日本の海岸線がいかに長いかは、国土面積が日本の25倍ちかくもある大陸国家アメリカの海岸線の1.5倍に及び、同じく国土面積が日本の26倍ちかくもある大陸国家中国の2倍以上に達していることでも明らかだろう。
    <松本健一、海岸線の歴史>
〝線に生き面に生きない日本人になることは避けよう。日本文化の匂いは線のにおいがする。〟

2009年9月10日木曜日

調和

 何が進歩だ、縄文土器の凄さを見ろ、今の人間に作れるか。調和というが、皆が自分を殺してなれあう調和なんぞいやしい。ガンガンぶつかり合い戦ってそこに生まれるのが本当の調和だよ。
    <岡本太郎>
〝知識は進歩をもたらす。人は往々にして進歩を理解できず進化の機会を失う。進化の機会を失った人は溶融せず重層化した古代~近代感覚にまだら模様に染められて事象を理解する。縄文はやはり縄文でしかない。かって渡来系の弥生人は縄文人を征服し日本への道付けをした。混じり合ったその出自は誰も否定できない。皇国日本とは何だろう。それにしてもだ、岡本太郎の作品は縄文とか弥生とか、そんな狭量な観念世界にとどまるものではない。滅多に人を歓迎しないあのピカソが自室の奥にまで招き入れ歓談した稀有な人間というではないか。〟

2009年9月9日水曜日

三途の川


 エジプトでは死者のミイラをおさめた棺は橇にのせられ、親類縁者に曳かれて、ナイルの岸に到達する。そこで棺は舟にうつされナイル河を渡った対岸の沙漠の中にある墓地に到達するのであるが、それに照応して「死者の書」にはこう書かれている。
 つまり死者が冥府に行くにはその途中に1つの大河があって、必ずこれを渡ることになっているが、それには冥府の渡し舟を招き寄せて、それに乗らねばならない。
    <石上玄一郎、エジプトの死者の書>
〝古代エジプトのこの習俗は、永い年月を経てアジアの仏教に取りこまれ、三途の川の説話を生んだ。人の棲む東岸から人の棲まない沙漠の西岸に死者を運び葬ることは、日の入りのみならず衛生上の観点から、古代エジプトではどうしても必要なことだった。しかし三途の川の背後に潜む歴史の真実を、いまはだれも問わず、ただ過去の必然をいまの迷信に受けつぐ。かくして迷妄は意味もなく現実を支配する。〟

2009年9月8日火曜日

形象


 私が描いたのは人間ではない。私はある出来事を物語ったのです。そこにあるものは一聯の形象です。それだけです。
 人が写真を撮るのは、ものを意味の外に追い払うためなのです。私の書く物語は、一種肉眼を閉じることです。
    <カフカ、カフカとの対話(G.ヤノーホ)>
〝人間は時間の流れから形象を掬い取り、物語って見せることはできない。形象は人の心に芽吹いたその瞬間に輪郭線を失い、闇夜の海に遠ざかる。肉眼を閉じようが閉じまいが、形象は人の想う形象としては存在しない。カフカは形象の残骸らしきものをみなに見せたかったのだ。〟

2009年9月7日月曜日

主体


 政治部の記者は、取材先の政治家に知らせる原稿を書く。経済部の記者は、中央省庁の役人や財界人が納得するような文章を書く。社会部の記者は、警察官や検察官に認めてもらえるようなリポートをする。
    <池上彰、わかりやすく伝える技術>
〝あなたを主体であらしめる対象をもつあなたを幸いに思う。それが間違った対象であってもである。わたしの出会うおおくの人は風にゆれる蝋燭の炎のように主体でありえず揺らいでいる。そうでないにしても人が主体でありえる時間は短い。街はもはや主体でなくなった人であふれている。わたしもその一人である。それにしてもだ、池上彰氏のこの本の前半はよく出来ている。〟

2009年9月6日日曜日

正義の風


 天下に正義があれば人類は生存でき、正義がなくなれば人類は死に絶える。
 正義があれば人類は富裕になるが、正義がなくなれば貧困となる。
 正義があれば人間社会の治安は保たれるが、正義がなくなれば治安は悪化する。
 そしてもとより天は、生存を望んで死滅を憎み、富裕を望んで貧窮を憎み、安寧を望んで混乱を憎まれる。
 これこそ私が、天は正義を望んで不義を憎んでおられる、と知りえた理由なのである。
 しかも義とは本来、人びとを正しい方向に矯正することである。
 この場合、下位の者が上位者に対して義を正すということはなく、必ず上位者から下位の者に向かって、義を正すのである。
<墨子、墨翟>
〝天の正義を待ち望む心がある、しかし天は烏合の衆であり正義は烏合の正義である。人はそれでも湖にゆらぐ葦草のような心持ちで、正義の風が吹くことを恋い願う。歴史はその変遷、ところで衆議院を制圧した民主党はどのような天の正義の風を吹かすのでしょうか?〟

2009年9月5日土曜日

想像


 この世のなかには、何ひとつ想像だけですますことの出きるものはない。
 どんなにつまらぬことでも、想像だけですむものなんかひとつもないのだ。
    <ライナー・マリア・リルケ、マルテの手記>
〝果たして森の木々は想像するのか?人の想像は、ただいま指間から零れ落ちる、あるいは未来に向かって指間から零れ落ちることを必然的に予感させる、本質的に人の所有になりえない時間を手元に手繰りよせるためのものだが、森の木々は、時間を手繰りよせることを必要としないのか。それはなぜなのか?私は想像している〟