2009年8月11日火曜日


 実際、自分自身の意志を持ちたいと望むような天の星やあるいは地の塵があるならば、かれらはその瞬間、もろともに(神により)無とされるのである。
    <セーレン・キルケゴール、著作集18>
〝違うと考える。神、そう呼んでよければだが、神は、現象的そして演劇的蠢動を摂理的にながめて楽しむのではなかろうか。人は神的世界に憧れ俯瞰的に現象を楽しもうとする(それも結局は果たしえないのだが)、しかしながら、神は、再度、そう呼んでよければだが、神は、そこで俯瞰的に摂理を楽しんでいる。現象を楽しむのではない。〟

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