2009年10月31日土曜日


 智者は時に順(したが)って謀り、愚者は理に逆らって動く。
    <朱浮、後漢書>
〝さまざまな時があるがいかなる時も時は疑いなく絶対者である〟

2009年10月30日金曜日

理性


 あらゆる物は、長い間存続すると次第次第に理性が染み込むので、そのためにもとを正せば非理性から出たことが、本当らしく見えないようになる。
    <フリードリッヒ・ニーチェ、理想社ニーチェ全集7>
〝理性は染み込まない、理性が自らの安全のために覆いかぶさろうとするのみ。生命体は理性の作用を正しく見極めるべきである、とりわけ人と呼ばれる生命体は。〟

2009年10月29日木曜日

クオリア


 ただ一つわからないのは、私たちの主観的体験を特徴づける様々なクオリアである。
 数量化もできない。シンボルでも書けない。方程式でも表せない。そのようなクオリアを通して私たちが世界を認識していること。このことだけが、科学主義の方法論では分からない。私たちの芸術体験の中核に、その出自の分からないクオリアがある。
    <茂木健一郎、脳のなかの文学>
〝脳のなかの文学というタイトルのとらえ方そのものが誤っている。だからこそクオリアなどという訳のわからない理屈が出てくるのだ。生物は生命体そのものとして対象に向き合っている。その生命体の言語的認識機能を司るのが脳であるというだけだ(というより、より正確に言えば、言語的認識機能を司る部分を私たちが脳と思いこんでいるだけで、実際は、脳そのものも生命体的存在でそれを出るものではないのだが)。脳は生命体のごく一部でしかなく脳によって生命体のすべては解釈できない。一部からすべてを推測できるのは言語確率的世界でのことのみ。主観とは生命体そのものだ。生命体は主観をごく少量排除することによって思念上の集落を作る。脳のなかの文学はその思念上の集落のこと、生命体そのものではない、それらは大きくかけ離れている。〟

2009年10月28日水曜日

表徴


 東洋の女形は女性をコピーしない。
 女性を表徴する。
 女性はそのモデルへと凝り固まらない。
 モデルから身をひきはなして表徴する。
 女形は読み取られるものとして、女性を現前させるのであって、見せられるものとして現前させるのではない。
    <ロラン・バルト、構造主議論>
〝つまりは〝途中〟でしかないということだ、この途中感は人に本来不要なものではないか。概念はいかなる場合も現実を包摂すべきである。概念が表徴を現し虚無を作り出すことが人の特徴とはいえ好ましいことではない。〟

2009年10月27日火曜日

完全主義者


 時間を度外視して、何事も完璧にしなければ気のすまない、小心な完全主義者は、実戦には向かない。
 敵との戦いは、一方で常に時間との戦いでもあるからである。
    <孫子、作戦篇>
〝完全主義者であろうとなかろうと、時間と戦いぬくことが人に課された運命。しかし完全主義者にはなりたくない、というのも時間がより早く当人を追い越してゆくから・・・。〟

2009年10月26日月曜日

カキガラ


 作家は、自然に虚名がつきまといます。
 船にカキガラがつくようなもので、本作とは何の関係もなく、それをしょっちゅう落としているべきでありますのに、その虚名というカキガラで世間に通用し、当人もそう思いこんでしまいがちです。
 当人がそう思いこむとき『暗黙の常識』から外れるわけであります。
    <司馬遼太郎>
〝書くこと話すこと然り、常に源泉を見つめること〟

2009年10月25日日曜日

つもり


 人間は知っていることばかり話すのでもなければ、知らないことばかり話すのでもない。
 知っているつもりだが実は知らないことを話すものだ。
<ジョン・ケネス・ガルブレイス>
〝人はなぜ話すのか。動物も話す。でも人はより多く話す。人はなぜ動物よりより多く話すのか。人は知っていることに関係なく多く話す。人は話すことにより視覚と聴覚に見せたくないもの聞かせたくないものを退ける。人はなぜそうするのか。〟

2009年10月24日土曜日

人間


 そもそも自然の中における人間というものはいったい何なのであろう。
 無限に対しては虚無であり虚無に対してはすべてであり、無とすべてとの中間である。
<パスカル、パンセ>
〝人間は虚飾に身をまとうことを覚えた自然である。すべての虚無はそこに由来する。〟

2009年10月23日金曜日

深淵


 立っていられないほど恐ろしいが、やはりのぞき込まずにはいられない深淵が、日常何気なく使っている言葉のすぐ横にある。言葉を使うということは、すなわち、深い落ち込みの縁をぐるりと回って生きるということである。
    <茂木健一郎、脳のなかの文学>
〝その通り。言葉は崖の縁にあって常にその深淵を感じさせる。その深淵とは言葉が絶対に立ち入ることのできない深い裂け目のことだ。言葉は暗く深い意識の淀みが絶えまなく言葉の根元を侵食し洗い流していることを知っている。〟

2009年10月21日水曜日

言語


 言語というものは一つの形と一つの内容との合体の最も完璧な例である。
    <ル・クレジオ、物質的恍惚>
〝そう思いますか?誤り。〟

2009年10月20日火曜日

理解


 墨子先生は、今の世の士君子たちは、小さなことは理解できるが、大きなことを理解できないと言われた。
    <墨子、天志上篇>
〝人が理解できることは人とは理解するものではない理解されるものでもない一瞬の存在をありのまま感じて受け入れるものだということである。人はその本来の性質として小さいことも大きいことも理解できる存在ではない。この現実は墨子が生きた2400年前もそして私が生きる今も変わらない。絶対者は、人を、理解する存在としてではなく理由もなくそこに有る存在として造った。〟

2009年10月19日月曜日

私の意識


 君の人生の日数を差引決算し、よく調べてみるがよい。
 そうすれば、君にはもうほんの僅かな使い残りしか残っていないことが分かるだろう。
    <セネカ、道徳論集>
〝セネカの嘆きは杞憂かもしれない。今の意識が未来を夢見る。しかし私の掌のうえに未来が乗ることは決して無い。与えられるのはいつも瞬間のみ。私の意識は私を惑わせる。〟

2009年10月17日土曜日

イメージ


 ある時ふっと気がついた。
 「明確にボールのコースをイメージしなきゃダメなんだ。あのへんじゃなくて、ここに打つ、と心に決めなきゃいけない」
    <立川談春 ゴルフ>
〝分かったようで分かっていないことって多くありませんか? これは≪ゆらぎ≫とは違います。≪甘え≫です。精神が必要な仕事をしていないということを意味します。〟

2009年10月16日金曜日

心の世界


 ヒトは二種類の情報世界を生きている。
 一つは脳とその情報の世界あるいは意識的な世界であり、
 もう一つは細胞と遺伝子の世界、つまりほぼ完全に無意識の世界である。
 換言すれば、脳の世界はいわゆる心や精神の世界、社会や文化の世界であり、細胞と遺伝子の世界は身体の世界である。
    <養老孟司、人間科学講義>

〝心は脳の世界なのか?
二種類は誤りで ヒトは三種類の情報世界を生きているのではないか。
三つ目は心の世界。
脳と身体の情報世界が(他者にも影響され)相互干渉する臨界点のみで営まれる第三の情報世界、心の世界。
ヒトはおそらくこの第三の世界の存在を永らく無視しようと努めてきた。
その内容を読み取れなかったからだ、余りに不安定に見えたからだ。
とても心地よくもあるが、そのくせ名状しがたい不安感を与えるものでもあったからだ。
いまヒトは構造主義的事物認識を追求した結果として、その対極にあるのではとさえ思える≪ゆらぎ≫を重視し、それと真正面から対峙しようとしている。
その先に見える情報世界が≪心の世界≫なのではないか。
第三の世界、あるいはそもそもはヒトの第一世界であるべき世界。
その世界はいつも≪ゆらぎ≫の奥にあってヒトの近づきを待っている。〟

2009年10月15日木曜日

役人


 役人ほど甘い仕事はないと痛感しますね。
 権限、権益は持っているのに、責任は取らなくていい。
    <丹羽宇一郎 伊藤忠商事会長>
〝謎々をひとつ、役人が取り国民が取れないもの、国民が取り役人が取らないもの〟

2009年10月14日水曜日

自由


 世の中が繁栄していて、自分が若くて健康な時には、自由は確かに素晴らしい。
 しかしそうでない時は、不安定で淋しいものにすぎません。
 アメリカなどでは、老人はほぼ例外なく老人ホームに送り込まれ、ほんのたまに家族がくるくらいです。
 昔の日本は違いました。
 死ぬまで子供や孫と一緒に暮らし、子孫に看取られて死んでいった。
 淋しいとこぼす老人などいなかったでしょう。
    <藤原正彦>
〝何が望ましいのかわからない、正解はたぶん日米どちらにもないだろう。両者の折り合うポイントを実社会システムとして作りえない人間のサガが最大多数の幸福な老後の実現を阻害している。〟

2009年10月13日火曜日

群集の事業


 個人における異常なる高昇はやがて人類の高昇であるが故に、天才を生むための努力は群集のなし得る唯一の尊き事業である。
    <ニイチェ、和辻哲郎「ニイチェ研究」>
〝歴史はなぜ群集の息遣いを残さないのか?百の群集の百の息遣いは一人の天才の一つの息遣いと同じく希少で何ものにも替えがたい。天才の事跡を否定するものではないが観念ではない現象としての一期一会の存在もいとおしく大切なもの。でも歴史はその大切なものを残さないようにこの世を作った。歴史自身のもつ深い意図がそこに隠されている。〟

2009年10月12日月曜日

樹木


 へつらうまい、驕るまいと気を使うのは、まだ君のどこかに、へつらう心や、驕る心が残っているからではあるまいかの。
    <下村湖人、論語物語>
〝樹木になる。へつらいもない、驕りもない。人が鉈を入れれば身を切らせ、人が果実をもげば捧げる。樹木はたださわさわと風と語り、そこに立つ。胡蝶を育み蜘蛛の巣に朝露をまろばす。〟

押す


 あせってはいけません。
 頭を悪くしてはいけません。
 根気づくでお出でなさい。
 うんうん死ぬまで押すのです。
 それだけです。
 決して相手をこしらえてそれを押しちやいけません。
 相手はいくらでも後から後からと出てきます。
 さうして吾々を悩ませます。
 牛は超然として押して行くのです。
 何を押すかと聞くなら申します。
 人間を押すのです。
    <夏目漱石 手紙>
〝押す人間がいる人は幸せである。空気を押す人は悲劇である。〟 

2009年10月11日日曜日

宝石


 「宝石とは何か」との問いに、印象的な答えをくださった方が二人あります。
 ダライ・ラマ法王は、黙って心臓を指差しました。
 西澤潤一先生は「物質には本質的に安定しようとする方向性がある。最も安定したかたちが結晶で、その究極の姿が宝石。人間の肉体も宝石になりたいという方向性を持っているのです」とおっしゃいました。
    <有川一三>
〝逆説的だろう。そういう意味では教会は逆説的な状態にとどまっている。逆説の先にある真理を正面から見ること〟

2009年10月10日土曜日

阿修羅


 興福寺の阿修羅像を三次元映像で世界に紹介すれば、全世界の苦悩を一身に引き受けたとおぼしきあの表情を見て戦争の愚かしさを悟るだろう。
    <長尾真 国会図書館長>
〝阿修羅にノーベル平和賞を与えたい〟

2009年10月9日金曜日

秩序


 秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。
    <福岡伸一、生物と無生物のあいだ>
〝それは秩序とは言わないんです。人の請いねがう秩序とは不動のものでなければならないのです。それをこのように絶え間なく壊されなければならないと言い繕うことしかできないところに、人の自己欺瞞性があるのです。人はもう少し言葉を厳密に使い分けなければなりません。しかし人は言葉を厳密に使い分ければ自己の存在自体が疑義に呈されてしまうことを深層心理的に知っています。人はいつも回り道をしその間に正面から見据えるべきものを見ないですまそうとするのです。〟

2009年10月8日木曜日

人生感意気


 季布は二諾無く
 侯嬴(えい)は一言を重んず
 人生意気に感ず
 功名誰か復た論ぜん

 むかし季布はいったん引き受けたことは必ず実行し、
 侯嬴もまた一言を重んじ死をもって約束を果たした
 人が生きる上では恩義に感動して応えることこそが大切
 手がらや名声など誰が問題にするものか

    <初唐の魏徴、五言古詩「述懐」>
〝人生感意気、悔いなき人生はこれのみ。〟

2009年10月7日水曜日

表徴の帝国


 本書に図版としてかかげられたものの一つ一つは、≪意味の喪失≫をみちびく視覚の地すべりをわたしに与える契機になったものであるにすぎない。
 この≪意味の喪失≫こそが、禅が≪悟り≫と名づけるものにほかならない。
 身体、顔、エクリチュール(表現体)、こういう表徴作用群相互のあいだに、交流を交換をおこさせたい、そうしてそれら相互に表徴がもっている関係を読者に読みとってもらいたい、テキスト(本文)と図版を組みあわせて示すのは、そういう願いからなのである。
    <ロラン・バルト、表徴の帝国>
〝人生逍遥あるいは遥かなる道のこころみと寸部違わぬその考えに接しうなった、もっと早く読んでおくべきだった。果たしてこころみは成功するか。〟

2009年10月6日火曜日

哲学者


 マルクスの「フォイエルバッハについてのテーゼ」から、しばしば━━そしてあまりにもしばしば━━、引用される一句、「哲学者たちはこれまで世界をただいろいろに解釈してきただけである。世界を変えることが眼目であるのに。」
    <岩波 哲学1>
〝個は存在しそして存在しない。個の解釈はありえるしそしてありえない。世界は変わるしそして変わらない。人はおのおの違ったゆめを見ているだけだ。ゆめの中で世界は変わるしそして変わらない。ゆめは時に集団となり世界を揺るがすが世界は人がゆめのなかで世界を揺るがすのを児戯を見る神のように見下ろす。〟

2009年10月5日月曜日

グレン・グールド


 要するにこれは、終わりも始まりもない、真のクライマックスも真の解決もない音楽、ボードレールの恋人たちのように、「気ままな風の翼にそっと休らっている」音楽なのである。
    <グレン・グールド、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」にある種の永遠性を見出して>
〝3次元の音が2次元の平面に安息を感じながら天から降下する、あるいは、清らかな一枚の和紙に滴りおちる音の痕跡により人が初めて知る天からの必然の声の印し、そんな音楽を奏でるのがグールドです。〟

2009年10月4日日曜日

人類


 いったい人類は、もともと鳥獣や鹿の類や飛鳥・昆虫などとは、まるで異なった存在である。
 これら鳥獣・鹿・飛鳥・昆虫の類は、(生まれつき備わった)羽毛を衣服とし、(生まれながらに持っている)蹄や爪をズボンや履物とし、(自然界に備わっている)水や草をそのまま飲食物としている。
 だから、雄がことさらに農業をせず、雌がとりたてて紡績・織布をしなくても、衣食に必要な物質は、天然・自然の中にすでに具備している。
 ところが一方、人間はそういうわけにはいかない。
 人為的努力を恃む者は生存できるが、人為的努力に頼ろうとしない者は生存できない。
    <墨子、非楽上篇>
〝人類はその性質から集団化するということである。政治は人間の衣であり経済は人間の食である。つまり人類には個というものは存在しないらしい。〟

2009年10月3日土曜日

兵士


 戦争を起こすものは人間の関係ではなく、物事の関係である。
 そして戦争状態は単なる対人関係からは生まれず、ただ対物的関係からのみ生じるのである。
 戦争は、個人と個人との関係ではなく、国家と国家の関係であって、この関係において個人は人間としてではなくまた市民としてでさえなく、兵士としてたまたま敵対しているにすぎない。
    <ジャン・ジャック・ルソー>
〝人間は観念の関係なくしては生きることはできない。万物は神でありそこに観念の神を持ちこむのは人間の弱さである。その弱さは人間に物事の関係を作ることを教え、それにより人間を兵士として敵対させる関係に陥れる。〟

2009年10月2日金曜日

無限


 全ての表現の根底にあるのは、有限のものが無限のものを志向しようとする、我々の意識の持つ不思議な性質である。
    <脳のなかの文学、茂木健一郎>
〝我々とは人のことではない、生きとし生けるもの万物すべてのことであろう。あるいは非生命体であると我々が思い込んでいる諸鉱物も実はそうした志向性を持つのかもしれない。万物の誕生の時、ある必然がいかなる理由か、すべての存在し内的エネルギーを持つものに無限への志向性を与えた。鉱物の結晶作用とは何だろう。有限のものが無限を志向する際の、しかし必然的に生起する不安定を厭わしく思う有限のものの、束の間の退避行動かもしれない。宇宙はその誕生以来限りなく膨張をつづけている。宇宙は際限のない無限を志向している。それは人の無限への志向となんら変わらない。宇宙はおそらくは停止することによる死から逃走しているのだろう。人の意識は万物が背負った運命のひとつの例示にすぎない。〟

2009年10月1日木曜日

テニヲハ


 テニヲハは日本語に特殊な現象であり、他の文明語には、必ずしも存在しない。
 テニヲハの存在こそ日本語の特殊な性質の一つであることが、近ごろの国語学者からやや軽んぜられている。
 ミズカラと日本語が訓読する自と、オノズカラと訓読する自とは、原中国語では、必ずしも意味が、分裂していない。
 穿鑿を過度にするのは、かえって原文に忠実ではない。原文はミズカラでもありオノズカラでもある状態を、自の字でいう場合が、しばしばであるからである。
    <吉川幸次郎、漢文の話>
〝日本人はこまごましたことを決めたがる民族ということだろう。よくいえば精密機械産業などの発展をもたらした民族性、わるくいえば島国根性が根っから染みついている大局観に縁の薄い民族性。グローバル社会で生き抜かねばならない日本人の未来は、いかにテニヲハを捨て去るかにあるように思う〟