
ただ一つわからないのは、私たちの主観的体験を特徴づける様々なクオリアである。
数量化もできない。シンボルでも書けない。方程式でも表せない。そのようなクオリアを通して私たちが世界を認識していること。このことだけが、科学主義の方法論では分からない。私たちの芸術体験の中核に、その出自の分からないクオリアがある。
<茂木健一郎、脳のなかの文学>
〝脳のなかの文学というタイトルのとらえ方そのものが誤っている。だからこそクオリアなどという訳のわからない理屈が出てくるのだ。生物は生命体そのものとして対象に向き合っている。その生命体の言語的認識機能を司るのが脳であるというだけだ(というより、より正確に言えば、言語的認識機能を司る部分を私たちが脳と思いこんでいるだけで、実際は、脳そのものも生命体的存在でそれを出るものではないのだが)。脳は生命体のごく一部でしかなく脳によって生命体のすべては解釈できない。一部からすべてを推測できるのは言語確率的世界でのことのみ。主観とは生命体そのものだ。生命体は主観をごく少量排除することによって思念上の集落を作る。脳のなかの文学はその思念上の集落のこと、生命体そのものではない、それらは大きくかけ離れている。〟
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