
テニヲハは日本語に特殊な現象であり、他の文明語には、必ずしも存在しない。
テニヲハの存在こそ日本語の特殊な性質の一つであることが、近ごろの国語学者からやや軽んぜられている。
ミズカラと日本語が訓読する自と、オノズカラと訓読する自とは、原中国語では、必ずしも意味が、分裂していない。
穿鑿を過度にするのは、かえって原文に忠実ではない。原文はミズカラでもありオノズカラでもある状態を、自の字でいう場合が、しばしばであるからである。
<吉川幸次郎、漢文の話>
〝日本人はこまごましたことを決めたがる民族ということだろう。よくいえば精密機械産業などの発展をもたらした民族性、わるくいえば島国根性が根っから染みついている大局観に縁の薄い民族性。グローバル社会で生き抜かねばならない日本人の未来は、いかにテニヲハを捨て去るかにあるように思う〟
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